スロバキア・ウィーン('98.08)


    その1 スロバキア
    その2 ウィーン

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    ルート

    仙台空港(7/31)〜チャンギ国際空港(シンガポール)〜ウィーン国際空港(8/1)〜ブラチスラヴァ(8/1,2)〜 Lom nad Rimavicou(8/2〜9)〜Cierny Balog(8/9〜14)〜ブラチスラヴァ(8/14,15)〜ウィーン(8/15〜19)〜 ウィーン国際空港(8/19)〜チャンギ国際空港〜成田〜仙台(8/20)

     大学4年の夏休み、大学院の入試を推薦制度のおかげで受けずに済んだことをいいことに、 スロバキアでのワークキャンプなるものに参加してきた。ワークキャンプとは世界各国から集まった 若者(でなくても良いが、多くは時間のある学生をはじめとする若者が多い)が、共同生活を しながらボランティア活動を行い、それとともに交流を深めるというような性格のもの。
     とにかく海外旅行に行きたかった僕は、いろんな人と会えそうだし、キャンプ中は参加費だけで 宿泊場所や食事は提供されるみたいで金銭的にお得そうだし、何よりなんだか面白そうだということで、 参加してみることにした。ヨーロッパを中心に多くのワークキャンプのプログラムがあり、 その中から希望のものを選ぶのだが、申し込み時期が遅かったせいか第4希望ぐらいに書いたスロバキアの キャンプに行くことになった。内容が面白そうだったので希望には書いていたものの、スロバキアなんて どこにあるのかもよく分からん状態で、キャンプには現地集合現地解散のワークキャンプ、 初の海外旅行&一人旅でいろいろ不安もありながら準備して旅立った。

     7/31仙台空港から出発。途中シンガポールを経由してウィーンへ。スロバキアの首都ブラチスラヴァは ウィーンからバスで1時間ちょっとのところにあり、日本からだとブラチスラヴァへ飛んでいる便は ほとんどないので、ウィーン経由で行くことに。て、大体スロバキアの首都がブラチスラヴァなんて 名前だってご存知でしたか、お客さん?僕は知りませんでした。飛行機で約26時間、そこから バスで約1時間半ようやく着いたブラチスラヴァ。とりあえず腹ごしらえと思ったのだが、 そこら辺のお店に入る勇気もなく、駅の前にあったハンバーガー屋で指差して買った。 この国、この後も困ったのだが英語も泊まったユースぐらいしか通じず、筆談とジェスチャーで やってた。ブラチスラヴァから現地のLom nad Rimavicouまで行くときも乗るバス見つけるのにも 苦労したもんなー。降りる場所もよく分からないのよね、言葉わからないと。ほんと、 言葉のありがたみを実感します。
     ブラチスラヴァと言えば、市内にトラムが走ってたんだけど、切符の買い方がまず分からない。 自販機があると思ってお金を入れたらそのままお金出てくるし。僕は切符を買いたいんですけど。。。 それにしても、外国の電車って改札もなく、切符なくても乗れちゃうんですねー。たまに検札があるらしく、 友人はどこかの国で見事に引っ掛かり、罰金をせしめられた、いや、支払うことになったらしいので、 無賃乗車にはお気をつけ下さい。

     ワークキャンプは1週目が小学校に寝泊りしながら森林公園の草刈りとベンチなどの設営、 2週目が文字通りテントでキャンプをしながらトロッコ電車の枕木の交換を行った。 一日中働いているわけではなく、2時ぐらいからはキャンプに参加したメンバーでいろんな レクリエーションをやったり、夜はキャンプファイヤーやったり、休日は近くの町に観光に 行ったり、山歩きしたりとイベントも盛りだくさんだった。小学校にいたときは、近くに飲み屋 (と言ってもビールを売ってる商店の外にベンチがある程度だったけど)があり、そこで集まって ビール飲んだりもしてた。ビール一瓶50円ぐらいだった。これじゃ水代わりにビールを飲むなんて話も うなずけます。向こうで出て来た飲み水がミネラルウォーターなのだが炭酸入りで、 飲み慣れない者には変な味。その時参加してた日本人とスペイン人は嫌がってたのだが、ビールの方が 美味しかったな。
     個人的には2週目の枕木の交換が結構面白かった。1週目の方が作業は楽で、レクリエーションばかり やってたような気もするが。ここら辺が日本人の感覚とは異なるとこかもしれないのだが、 ペースが結構のんびりで、翌年日本でのワークキャンプに参加したときはこのときに比べると大分 作業の密度が濃かったように思う。どちらにしても、参加しているメンバーを支える現地のスタッフを始め、 多くの人がこれまたボランティアのような感じでいろいろやってくれているわけで、 ボランティアしに行ってるんだか、されに行ってるんだかは良く分からない状態。 素人の作業なので、それほど効率よく進むわけもないのだが、受け入れ側にとっても、地域の活性化や 若者の(&と)交流の場ができればという様な思いがなければ成り立たないんだろうなと。 この辺はスタッフ側の言葉も分かる日本のキャンプに参加した後より思ったことではあるが。
     とにもかくにも、毎日つたない英語でコミュニケーションの取れなさ具合を嘆き、へこみながらも 楽しい日々は過ぎていった。作業もちゃんとやってましたよ、ええ、キャンプが終わる頃には スリーピングボーイなんて何でついたか不思議なあだ名もすっかり定着してしまってましたが。 そんな昼寝ばっかりしてましかね?、皆さん。キャンプが終わり、一旦ブラチスラヴァに戻った後、 一泊してウィーンへ移動。今度は電車でブラチスラヴァからウィーンへ国境を越えたのだが、ここでも トラブルがあった。国境を越えるときにスロバキアの警察(?)の滞在証明印だかなんだかを 押してもらってないとかで、これではウィーンに行かせることは出来ないというようなことを言われた。 結局、しばらくいろいろ聞かれた後、学生の旅行者で怪しいものではなさそうだということで、 無事に開放されたのではあるが、危ないところでした。財布の中にあったスロバキアのお金は全て没収 されるというおまけもついていたが。今はどうか知らないけど、当時はほんとに滞在印を押してもらって おかなければいけなかったようで、ワークキャンプであった別の日本人も同じようにスロバキアから 出る時に言われたよう。その後ビザすら要らなくなったはずなので、今はそんなこともないのかも。 (※外務省のHPで確認したら警察署での手続きは今も必要のよう)

     ウィーンでは安宿に泊まりながら市内をぷらぷらしながら4日ほど過ごした。それまでキャンプで 賑やかにやってたのでひとりになって気楽な反面寂しくなった。ウィーンは芸術の都と言われるだけ あってか、ストリートパフォーマーが街頭でバイオリンを弾いてたり、夜には広場でスクリーンで オペラの無料シアターがあったりして貧乏学生でも音楽に触れることができる街だった。 観光地のせいか物価も高くて、東京よりも高いんじゃないかと感じた。スーパーでパンや牛乳を買う分には そんなことないんだけど。
     あと、ウィーンで印象的だったのはシュテファン大寺院のミサ。本来観光客はお断りみたいなのだが、 紛れ込むことに成功して、体験させてもらった。荘厳な雰囲気の中響き渡るパイプオルガンの音。 これが日常の中にある本当の姿なんだなと。そんなこんなでウィーンでの日々は過ぎていき、帰国の日。 行きと同様ウィーンからシンガポールを経て成田、仙台へ。約3週間、初めての海外旅行は終わり。 ところ変わればで当然国が違えば変わる部分はあるんだけど、案外どこの国の人間も通じるところが あるのかなと感じた。言葉がちゃんと通じてなくてもなんとかなるのがその証拠かもしれん。 が、語学力は当然あったほうが良く、無い自分は翻訳コンニャクが欲しくなるわけです。 いつかできるんじゃないかと期待しているのだが、あれから7年、勉強しろって話ですかね。

    2005.6.12記

    ワークキャンプ関係リンク

    CIEE(カウンシル)・・・このときのワークキャンプの仲介をしてもらった団体。
    NICE・・・こちらもワークキャンプ活動をやっている団体。翌年はこちらから参加した。
    外務省海外安全ホームページ・・・安全についてのちゃんとした情報を得るにはここかと。

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